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『法華真言勝劣事』


(★309㌻)
 若し爾らば法華経には二乗作仏・久遠実成之有り。大日経には之無し。印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり。諸経に印・真言を簡ばざるに大日経に之を説ひて何の詮か有るべきや。二乗若し灰断の執を改めずんば印・真言も無用なり。一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡ぶ、随って大日経にも之を隔つ。皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百十が六十余分得道せずんば仏の大悲何かせん。凡そ理の三千之有って成仏すと云ふ上には何の不足か有るべき。成仏に於ては瘂なる仏・中風の覚者は之有るべからず。之を以て案ずるに印・真言は規模無きか。又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕はさず。本無今有の失有れば大日如来は有名無実なり。寿量品に此の旨を顕はす。釈尊は天の一月、諸仏菩薩は万水に浮べる影なりと見へたり。委細の旨は且く之を置く。又印・真言無くんば祈祷有るべからずと云云。是又以ての外の僻見なり。過去現在の諸仏法華経を離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚成じ給ふ。法華経の行者を捨て給はゞ、諸仏還って凡夫と成り給ふべし。恩を知らざる故なり。又未来の諸仏の中の二乗も法華経を離れては永く枯木敗種なり。今は再生なり。華果なり。他経の行者と相論を為す時は華光如来・光明如来等は何れの方に付くべきや。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天乃至四悪趣等の衆は皆法華経に於て一念三千・久遠実成の説を聞きて正覚を成ずべし。何れの方に付くべきや。真言宗等と外道並びに小乗・権大乗の行者等と敵対相論を為す時は甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は竜と虎と師子と兎との闘ひの如く諍論分絶えたる者なり。慧亮脳を破するの時、次第位に即き、相応加持するの時、真済の悪霊伏せらるゝ等是なり。一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり。
  問うて云はく、義釈の意は法華経・大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かすや如何。答へて云はく、共に之を明かす。義釈に云はく「此の経の心の実相は彼の経の諸法実相なり」云云。又云はく「本初は是寿量の義なり」等云云。
 

平成新編御書 ―309㌻―

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