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『法華題目抄』


(★357㌻)
 彼の経々の意をば開き給はず。門を閉じてをかせ給ひたりしかば、人彼の経々をさとる者一人もなかりき。たとひさとれりとをもひしも僻見にてありしなり。而るに仏、法華経を説かせ給ひて諸経の蔵を開かせ給ひき。此の時に四十余年の九界の衆生始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり。譬へば大地の上に人畜草木等あれども、日月の光なければ眼ある人も人畜草木の色かたちをしらず。日月いで給ひてこそ始めてこれをばしることには候へ。爾前の諸経は長夜のやみのごとし。法華経の本迹二門は日月のごとし。諸の菩薩の二目ある、二乗の眇目なる、凡夫の盲目なる、闡提の生盲なる、共に爾前の経々にてはいろかたちをばわきまへずありし程に、法華経の時迹門の月輪始めて出で給ひし時、菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提も未来に眼の開くべき縁を結ぶ事、是偏に妙の一字の徳なり。迹門十四品の一妙、本門十四品の一妙、合せて二妙。迹門の十妙、本門の十妙、合せて二十妙。迹門の三十妙、本門の三十妙、合せて六十妙。迹門の四十妙、本門の四十妙、観心の四十妙、合せて百二十重の妙なり。六万九千三百八十四字一々の字の下に一の妙あり。総じて六万九千三百八十四の妙あり。妙とは天竺には薩と云ひ、漢土には妙と云ふ。妙とは具の義なり。具とは円満の義なり。法華経の一々の文字、一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり。譬へば大海の一渧。の水に一切の河の水を納め、一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し。
  譬へば秋冬枯れたる草木の、春夏の日に値ひて枝葉華果出来するが如し。爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生、法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひたてまつりて、菩提心の華さき成仏の菓なる。竜樹菩薩の大論に云はく「譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」云云。此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文なり。妙楽大師の釈に云はく「治し難きを能く治す、所以に妙と称す」等云云。総じて成仏往生のなりがたき者四人あり。第一には決定性の二乗、第二には一闡提人、第三には空心の者、第四には謗法の者なり。
 

平成新編御書 ―357㌻―

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