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『法華題目抄』
(★360㌻)
此くの如く諸経に嫌はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給ひしかば、忽ちに仏になりき。あまりに不審なりし故に、宝浄世界の多宝仏の第一の弟子智積菩薩・釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、四十余年の大小乗経の意をもって竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども、終に叶はずして仏になりにき。初成道の「能断仏種子」も双林最後の「一切江河必有回曲」の文も破れぬ。銀色女経並びに大論の亀鏡も空しくなりぬ。又智積・舎利弗は舌を巻き口を閉ぢ、人天大会は歓喜のあまりに掌を合はせたりき。是偏に妙の一字の徳なり。此の南閻浮提の内に二千五百の河あり。一々に皆まがれり。南閻浮提の女人、心のまがれるが如し。但し娑婆耶と申す河あり。縄を引きはえたるが如くして直ちに西海に入る。法華経を信ずる女人も亦復是くの如く、直ちに西方浄土へ入るべし。是妙の一字の徳なり。
妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。譬へば黄鵠の子死せるに、鶴の母子安となけば死せる子還りて活り、鴆鳥水に入らば魚蚌悉く死す。犀の角これにふるれば死せる者皆よみがへるが如く、爾前の経々にて仏種をいりて死せる二乗・闡提・女人等、妙の一字を持ちぬれば、いれる仏種も還りて生ずるが如し。天台云はく「闡提は心有り猶作仏すべし。二乗は智を滅す、心生ずべからず。法華能く治す、復称して妙と為す」云云。妙楽云はく「但大と名づけて妙と名づけざるは、一には有心は治し易く無心は治し難し。治し難きを能く治す、所以に妙と称す」等云云。此等の文の心は、大方広仏華厳経・大集経・大般若経・大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし。但生者を治して死せる者をば治せず。法華経は死せる者をも治す。故に妙と云ふ釈なり。されば諸経にしては仏になるべき者も仏にならず、法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ。仏になりやすき者は云ふにや及ぶと云ふ道理立ちぬれば、法華経をとかれて後は諸経にをもむく人一人もあるべからず。
而るに正像二千年すぎて末法に入りて当世の衆生の成仏往生のとげがたき事は、在世の二乗・闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の、
平成新編御書 ―360㌻―
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