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『善無畏三蔵抄』


(★439㌻)
 祖師の誤りをたゞさゞるによるなり。
  所詮、智者は八万法蔵をも習ふベし、十二部経をも学すべし。末代濁悪世の愚人は、念仏等の難行易行等をば抛ちて、一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。日輪東方の空に出でさせ給へば、南浮の空皆明らかなり。大光を備へ給へる故なり。螢火は未だ国土を照らさず。宝珠は懐中に持ちぬれば、万物皆ふらさずと云ふ事なし。瓦石は財をふらさず。念仏等は法華経の題目に対すれば、瓦石と宝珠と、螢火と日光との如し。我等が昧き眼を以て螢火の光を得て、物の色を弁ふべしや。旁凡夫の叶ひがたき法は、念仏真言等の小乗権経なり。又、我が師釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり。此の裟婆無仏の世の最先に出でさせ給ひて、一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり。東西十方の諸仏菩薩も皆此の仏の教へなるべし。譬へば、皇帝已前は人、父を知らずして畜生の如し。尭王已前は四季を弁へず、牛馬の癡かなるに同じかりき。仏世に出でさせ給はざりしには、比丘・比丘尼の二衆もなく、只男女二人にて候ひき。今比丘・比丘尼の真言師等、大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、念仏者等が阿弥陀仏を一向に持ちて釈迦如来を抛ちたるも、教主釈尊の比丘・比丘尼なり。元祖が誤りを伝へ来たるなるべし。
  此の釈迦如来は三の故ましまして、他仏にかはらせ給ひて裟婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ。一には、此の裟婆世界の一切衆生の世尊にておはします。阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず。釈迦仏は譬へば我が国の主上のごとし。先づ此の国の大王を敬ひて、後に他国の王をば敬ふべし。天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり。述化の後神と顕はれさせ給ふ。此の神にそむく人、此の国の主となるべからず。されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す。八幡大菩薩に勅使有って物申しあはさせ給ひき。大覚世尊は我等が尊主なり、先づ御本尊と定むベし。二には、釈迦如来は裟婆世界の一切衆生の父母なり。先づ我が父母を孝し、後に他人の父母には及ぼすべし。
 

平成新編御書 ―439㌻―

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