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『善無畏三蔵抄』


(★443㌻)
 而るを大日如来は教主釈尊に勝れたりと思ひし僻見なり。此の謗法の罪は無量劫の間、千二百余尊の法を行なはずとも悪道を免るべからず。此の三蔵此の失免れ難き故に、諸尊の印真言を作せども叶はざりしかば、法華経第二の譬喩品の「今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護」の文を唱へて、鉄の縄を免れさせ給ひき。而るに善無畏已後の真言師等は、大日経は一切経に勝るゝのみに非らず、法華経に超過せり。或は法華経は華厳経にも劣るなんど申す人もあり。此等は人は異なれども其の謗法の罪は同じきか。又、善無畏三蔵、法華経と大日経と大事とすべしと深理をば同ぜさせ給ひしかども、印と真言とは法華経は大日経に劣りけるとおぼせし僻見計りなり。其の已後の真言師等は大事の理をも法華経は劣れりと思へり。印真言は又申すに及ばず、謗法の罪遥かにかさみたり。閻魔の責めにて堕獄の苦を延ぶべしとも見へず、直ちに阿鼻の炎をや招くらん。大日経には本一念三千の深理なし。此の理は法華経に限るべし。善無畏三蔵、天台大師の法華経の深理を読み出ださせ給ひしを盗み取りて大日経に入れ、法華経の荘厳として説かれて候大日経の印真言を彼の経の得分と思へり。理も同じと申すは僻見なり。真言印契を得分と思ふも邪見なり。譬へば人の下人の六根は主の物なるべし。而るを我が財と思ふ故に多くの失出で来たる。此の譬へを以て諸経を解るべし。劣る経に説く法門は、勝れたる経の得分となるべきなり。
  而るを日蓮は安房国東条の郷清澄山の住人なり。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てゝ云はく、日本第一の智者となし給へと云云。虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給ひて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給ひき。其のしるしにや、日本国の八宗並びに禅宗念仏宗等の大綱粗伺ひ侍りぬ。殊には建長五年の比より今文永七年に至るまで、此の十六七年の間、禅宗と念仏宗とを難ずる故に、禅宗念仏宗の学者蜂の如く起こり、雲の如く集まる。是をつむる事一言二言には過ぎず。結句は天台真言等の学者、自宗の廃立を習ひ失ひて我が心と他宗に同じ、
 

平成新編御書 ―443㌻―

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