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『善無畏抄』


(★506㌻)
 過去現在の無量の罪滅しぬらん。何の科に依りて閻魔の責をば蒙り給ひけるやらん、不審極まり無し。善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を脱れずば天竺・震旦・日本等の諸国の真言師、地獄の苦を脱るべきや。委細に此の事を勘へたるに、此の三蔵は世間の軽罪は身に御せず、諸宗並びに真言の力にて滅しぬらん。此の責は別の故無し、法華経誹謗の罪なり。大日経の義釈を見るに、此の経は是法王の秘宝、妄りに卑賤の人に示さず、釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因って方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し。今此の本地の身は又是妙法蓮華最深秘処なり。故に寿量品に云はく「常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り。乃至我が浄土は毀れざるに而も衆は焼き尽くと見る」と、即ち此の宗瑜伽の意なるのみ。又補処の菩薩の慇懃の三請に因って「方に為に之を説く」等云云。此の釈の心は大日経に本迹二門、開三顕一・開近顕遠の法門有り。法華経の本迹二門の如し。此の法門は法華経に同じけれども、此の大日経に印と真言と相加はりて三密相応せり。法華経は但意密許りにて身口の二密欠けたれば、法華経をば略説と云ひ、大日経をば広説と申すべきなりと書かれたり。此の法門第一の誤り、謗法の根本なり。此の文に二つの誤りあり。又義釈に云はく「此の経横に一切の仏教を統ぶ」等云云。大日経は当分随他意の経なるを誤りて随自意跨節の経と思へり。かたがた誤りたるを実義と思し食せし故に、閻魔の責をば蒙りたりしか。智者にて御坐せし故に、此の謗法を悔ひ還して法華経に翻りし故に、此の責を免るゝか。天台大師釈して云はく「法華は衆経を総括す。乃至軽慢止まざれば舌、口中に爛る」等云云。妙樂大師云はく「已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛れて止まざるは猶華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る」等云云。天台妙樂の心は、法華経に勝れたる経有りと云はむ人は無間地獄に堕つべしと書かれたり。善無畏三蔵は、法華経と大日経とは理は同じけれども事の印真言は勝れたりと書かれたり。然るに二人の中に一人は必ず悪道に堕つべしとをぼふる処に、天台の釈は経文に分明なり、善無畏の釈は経文に其の証拠見へず。
 

平成新編御書 ―506㌻―

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