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『善無畏抄』
(★507㌻)
其の上閻魔王の責めの時我が内証の肝心とをぼしめす大日経等の三部経の内の文を誦せず。法華経の文を誦して此の責めをまぬかれぬ。疑ひなく法華経に真言まさりとをもう誤りをひるがへしたるなり。其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日をば左右に立て、法華経多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下の如くせり。
伝教大師は延暦二十三年の御入唐、霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝はり、仏瀧寺の行満座主に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨を極め給ひたる人。華厳・三論・法相・律宗の人々の自宗我慢の辺執を倒して、天台大師に帰入せる由をかゝせ給ひて候。依憑集・守護章・秀句なむど申す書の中に、善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。各々思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌ふは常の習ひなりと思えり。法然なむどは又此の例を引きて、曇鸞の難易・道綽の聖道浄土・善導が正雑二行の名目を引きて天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。此等は牛跡に大海を入れ、県の額を州に打つ者なり。世間の法には下剋上・背上向下は国土亡乱の因縁なり。仏法には権小の経々を本として実経をあなづる、大謗法の因縁なり。恐るべし恐るべし。
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖、或時は一代聖教を五時に分け、或時は二蔵と判ぜり。然りと雖も竜樹菩薩造の百論・中論・十二門論・大論を尊みて般若経を依憑と定め給ひ、天台大師を辺執して過ぎ給ひし程に、智者大師の梵網の疏を見て少し心とけ、やうやう近づきて法門を聴聞せし程に、結句は一百余人の弟子を捨て、般若経並びに法華経をも講ぜず、七年に至って天台大師に仕えさせ給ひき。高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれたり。天台大師高座に登り給えば寄りて肩を足に備え、路を行き給えば負ひ奉り給ふて堀を越え給ひき。吉蔵大師程の人だにも謗法ををそれてかくこそつかえ給ひしか。然るを真言・三論・法相等の宗々の人々、
平成新編御書 ―507㌻―
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