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『法華浄土問答抄』


(★511㌻)
 教主釈尊等を捨閉し閣抛し、浄土に至って法華経を悟るべしとは、何れの経文に出でたるや。
  弁成の立に、余の法華等の諸行等を捨閉し閣抛して念仏を用ゆる文は、観経に云はく「仏、阿難に告ぐ、汝好く是の語を持て。是の語を持つ者は即ち是無量寿仏の名を持つ」文。浄土に往生して法華を聞くと云ふ事は、文に云はく「観世音・大勢至、大悲の音声を以て其れが為に広く諸法実相除滅罪法を説く、聞き已はって歓喜し時に応じて即菩提の心を発こす」文。余は繁き故に且く之を置く。
  又日蓮難じて云はく、観無量寿経は如来成道四十余年の内なり、法華経は後八箇年の説なり。如何が已説の観経に兼ねて未説の法華経の名を載せて、捨閉閣抛の可説と為すべきや。随って「仏告阿難」等の文に至っては只弥陀念仏を勧進する文なり、未だ法華経を捨閉し閣抛することを聞かず。何に況んや無量義経に法華経を説かんが為に、先づ四十余年の已説の経々を挙げて未顕真実と定め了んぬ。豈未顕真実の観経の内に已顕真実の法華経を挙げて捨て、乃至之を抛てと為すべきや。又云はく「久しく此の要を黙して務めて速やかに説かず」等云云。既に教主釈尊四十余年の間法華の名字を説かず、何ぞ已説の観経の念仏に対して此の法華経を抛たんや。次ぎに「下品下生、諸法実相、除滅罪法等」云云。夫法華経已前の実相其の数一に非ず。先づ外道の内の長爪の実相、内道の内の小乗乃至爾前の四教、皆所詮の理は実相なり。何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ法華経に同じと意得べきや。今度慥かなる証文を出だして法然上人の無間の苦を救はるべきか。
  又弁成の立に、観経は已説の経なりと雖も未来を面とする故に、未来の衆生は未来に有る所の経巻之を読誦して浄土に往生すべし。既に法華等の諸経、未来流布の故に之を読誦して往生すべきか。其の法華を捨閉閣抛し、観経の「持無量寿仏」の文に依って、法然是くの如く行じ給ふか。観経の「持無量寿仏」の文の上に諸善を説き、一向に無量寿仏を勧持せる故に申せしめ候。実相に於ても多く有りと云ふ難、彼は浄土の故に此の難来たるべからず。
 

平成新編御書 ―511㌻―

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