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『法華浄土問答抄』


(★512㌻)
 法然上人、聖道の行機堪へ難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す。故に是慈悲の至進なれば、此の慈悲を以て浄土に往生し、全く地獄に堕すべからざるか。日蓮難じて云はく、観経を已説の経なりと云云。已説に於ては承伏か。観経の時未だ法華経を説かずと雖も、未来を鑑みて捨閉閣抛すべしと、法然上人は意得給ふか云云。仏未来を鑑みて、已説の経に未来の経を載せて之を制止すと云はゞ、已説の小乗経に未説の大乗経を載せて、之を制止すべきか、又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて、未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て、法華の名を載せざる由、之を説きたまふや。法然上人慈悲の事。慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなりと云はゞ、所詮上に出だす所の証文は、未だ分明ならず。慥かなる証文を出だして、法然上人の極苦を救はるべきか。上の六品の諸行往生を、下三品の念仏に対して諸行を捨つ。豈法華捨つるに非ずや等云云。観無量寿経の上六品の諸行は、法華已前の諸行なり。設ひ下三品の念仏に対して、上六品の諸行之を抛つとも、但法華経は諸行に入らず。何ぞ之を閣かんや。又法華の意は、爾前の諸行と観経の念仏と、共に之を捨て畢りて、如来出世の本懐を遂げ給ふなり。日蓮管見を以て、一代聖教並びに法華経の文を勘ふるに未だ之を見ず。法華経の名を挙げて、或は之を抛ち、或は其の門を閉づる等と云ふ事、若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願の誓文、並びに法華経の入阿鼻獄の釈尊の誡文、如何ぞ之を免るべけんや、法然上人無間獄に堕せば、所化の弟子並びに諸檀那等共に阿鼻大城に堕ちんか。今度分明なる証文を出だして、法然上人の阿鼻の炎を消さるべし云云。
  文永九年太歳壬申正月十七日               日蓮花押
                              弁成花押
 

平成新編御書 ―512㌻―

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