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『八宗違目抄』
(★516㌻)
法華経第二に云はく「今此の三界は皆是我が有なり」 主・国王・世尊なり。 「其の中の衆生は悉く是吾が子なり」 親父なり。 「而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」 導師。 寿量品に云はく「我も亦これ世の父」文。
主 国王 報身如来
師 応身如来
親 法身如来
五百問論に云はく「若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷はん。徒に才能と謂ふとも全く人の子に非ず」と。又云はく「但恐らくは才一国に当たるとも父母の年を識らざらんや」と。
古今仏道論衡 道宣の作 に云はく「三皇已前は未だ文字有らず。○但其の母を識って其の父を識らず。禽獣 鳥等なり に同じ」等云云 慧遠法師周の武帝を詰る語なり。
倶舎宗
成実宗 一向に釈尊を以て本尊と為す。爾りと雖も但応身に限る。
律 宗
華厳宗
三論宗 釈尊を以て本尊と為すと雖も法身は無始無終、報身は有始無終、応 身は有始有終なり。
法相宗
真言宗 一向に大日如来を以て本尊と為すに二義有り。一義に云はく、大日如 来は釈迦の法身なり。一義に云はく、大日如来は釈迦の法身には非ず。 但し大日経には大日如来は釈迦牟尼仏なりと見えたり、人師よりの僻 見なり。
平成新編御書 ―516㌻―
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