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『八宗違目抄』


(★517㌻)
  浄土宗 一向に阿弥陀如来を以て本尊と為す。
  法華宗より外の真言等の七宗並びに浄土宗等は、釈迦如来を以て父と為すことを知らず。例せば三皇已前の人禽獣に同ずるが如し。鳥の中に鷦鷯鳥も鳳凰鳥も父を知らず。獣の中には兎も師子も父を知らず。三皇以前は大王も小民も共に其の父を知らず。天台宗よりの外真言等の諸宗の大乗宗は師子と鳳凰の如く、小乗宗は鷦鷯と兎等の如く、共に父を知らざるなり。華厳宗に十界互具一念三千を立つること澄観の疏に之有り。真言宗に十界互具一念三千を立つること大日経の疏に之を出だす、天台宗と同異如何。天台宗已前にも十界互具一念三千を立つるや。記の三に云はく「然るに衆釈を攅むるに、既に三乗及び一乗三一倶に性相等の十有りと許す。何すれぞ六道の十を語らざるや」 此の釈の如くんば天台已前五百余年の人師三蔵等の法華経に依る者一念三千の名目を立てざるか。
  問うて云はく、華厳宗は一念三千の義を用ひるや 華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ。 答へて云はく、澄観の疏三十三 清涼国師 に云はく「止観の第五に十法成乗を明かす中の第二に真正発菩提心○釈して云はく然も此の経の上下の発心の義は文理淵博なれども、其の撮略を見る。故に取って之を用ひ、引きて之を証とす」と。二十九に云はく「法華経に云はく、唯仏与仏等と。天台云はく○便ち三千世間を成すと。彼の宗には此を以て実と為す○一家の意、理として通ぜざる無し」文。
  華厳経に云はく 旧訳には功徳林菩薩之を説くと、新訳には覚林菩薩之を説くと、弘決には如来林菩薩と引く 「心は工みなる画師の種々の五陰を画くが如く一切世間の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり、仏の如く衆生も然なり、心と仏と及び衆生と是の三差別無し。若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば当に是くの如く観ずべし。心は諸の如来を造る」と。
  法華経に云はく 此は略開三の文なり仏の自説なり 「所謂諸法とは、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」と。又云はく「唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。
 

平成新編御書 ―517㌻―

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