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『八宗違目抄』
(★519㌻)
一国の僧空宗を体解する有りと。問うて知者の教法に及ぶ。梵僧云はく、曽て聞く、此の教邪正を定め偏円を暁り、止観を明かして功第一と推す。再三光に嘱す。或は因縁あって重ねて至らば、為に唐を翻じて梵と為して附し来たれ。某願はくは受持せんと屡々手を握って叮嘱す。詳らかにするに其の南印土には多く竜樹の宗見を行ずる故に此の流布を願ふこと有るなり」と。菩提心義の三に云はく「一行和上は元是天台一行三昧の禅師なり能く天台円満の宗趣を得たり、故に凡そ説く所の文言義理、動もすれば天台に合す。不空三蔵の門人含光、天竺に帰るの日、天竺の僧問はく、伝へ聞く、彼の国に天台の教有りと。理致須ゆべくば、翻訳して此の方に将来せんや云云、此の三蔵の旨も亦天台に合す。今或阿闍梨の云はく、真言を学せんと欲せば、先づ共に天台を学せよと。而して門人皆瞋る」云云。
問うて云はく、華厳経に一念三千を明かすや。答えて云はく「心仏及衆生」等云云。止観の一に云はく「此の一念の心は、縦ならず横ならず不可思議なり。但己のみ爾るに非ず、仏及び衆生も亦復是くの如し。華厳に云はく、心と仏と及び衆生と是の三差別無しと。当に知るべし己心に一切の法を具することを」文。弘の一に云はく「華厳の下は引いて理の斉しきことを証す。故に華厳に初住の心を歓じて云はく、心の如く仏も亦爾なり、仏の如く衆生も然り。心と仏と及び衆生と是の三差別無し。諸仏は悉く一切は心に従って転ずと了知したまえり。若し能く是くの如く解すれば、彼の人真に仏を見たてまつる。身亦是心に非ず、心も亦是身に非ず、一切の仏事を作すこと自在にして未曽有なり。若し人、三世一切の仏を知らんと欲求せば応に是くの如き観を作すべし。心、諸の如来を造すと。若し今家の諸の円文の意無くんば、彼の経の偈の旨、理として実に消し難からん」と。
平成新編御書 ―519㌻―
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