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『開目抄㊤』


(★529㌻)
 目連は多摩羅跋栴檀香仏、富楼那は法明如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅・羅は蹈七宝華如来、五百・七百は普明如来、学無学二千人は宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼・耶輸陀羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり。此等の人々は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども、爾前の経々を披見の時はけをさむる事どもをほし。其の故は仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし。此の大人「唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふ」となのらせ給ひて「未だ真実を顕はさず」「世尊は法久しくして後要ず当に真実を説くべし」「正直に方便を捨て」等云云。多宝仏証明を加へ、分身舌を出だす等は、舎利弗が未来の華光如来、迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網をなすべき。
  而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり。大方広仏華厳経に云はく「如来の智慧大薬王樹は、唯二処に於て生長の利益を為作すこと能はず。
 

平成新編御書 ―529㌻―

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