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『開目抄㊤』


(★531㌻)
 若し得べからずんば云何ぞ、我に菩提の記を得んやと問うて、心に歓喜を生ずるや」等云云。文の心は、枯れたる木、華さかず、山水、山にかへらず、破れたる石あはず、いれる種をいず、二乗またかくのごとし。仏種をいれり等となん。
  大品般若経に云はく「諸の天子、今未だ三菩提を発こさゞる者は応に発こすべし。若し声聞の正位に入れば是の人能く三菩提を発こさゞるなり。何を以ての故に。生死の為に障隔を作す故」等云云。文の心は二乗は菩提心ををこさざれば我随喜せじ、諸天は菩提心ををこせば我随喜せん。
  首楞厳経に云はく「五逆罪の人、是の首楞厳三昧を聞いて、阿耨菩提心を発こせば、還って仏と作るを得。世尊、漏尽の阿羅漢は、猶破器の如く、永く是の三昧を受くるに堪忍せず」等云云。
  浄名経に云はく「其れ汝に施す者は福田と名づけず。汝を供養せん者は三悪道に堕す」等云云。文の心は迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は、必ず三悪道に堕つべしとなり。此等の聖僧は、仏陀を除きたてまつりては人天の眼目、一切衆生の導師とこそをもひしに、幾許の人天大会の中にして、かう度々仰せられしは、本意なかりし事なり。只詮ずるところは、我が御弟子を責めころさんとにや。此の外、牛驢の二乳、瓦器金器、蛍火日光等の無量の譬へをとって、二乗を呵嘖せさせ給ひき。一言二言ならず、一日二日ならず、一月二月ならず、一年二年ならず、一経二経ならず、四十余年が間無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言もゆるし給ふ事もなくそしり給ひしかば、世尊の不妄語なり。我もしる人もしる、天もしる地もしる。一人二人ならず百千万人、三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等、皆これをしる、又皆これをきく。各々国々へ還って、娑婆世界の釈尊の説法を彼々の国々にして一々にかたるに、十方無辺の世界の一切衆生、一人もなく、迦葉・舎利弗等は永不成仏の者、供養してはあしかりぬべしとしりぬ。
 

平成新編御書 ―531㌻―

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