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『開目抄㊤』
(★533㌻)
大集経には、十方の諸仏菩薩大宝坊にあつまれり。此等を法華経に引き合はせてかんがうるに、黄石と黄金と、白雲と白山と、白氷と銀鏡と、黒色と青色とをば、翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者は見たがへつべし。華厳経には、先後の経なければ仏語相違なし。なににつけてか大疑いで来べき。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は、諸小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕せしめ、二乗をわづらわす。小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに、或は十方に仏現じ給ひ、或は十方より大菩薩をつかわし、或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし、或は十方より諸仏あつまり給ふ。或は釈尊、舌を三千におおい、或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給ふ。此ひとえに諸小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給ひしをもひをやぶるなるべし。法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来して、舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏とをもわれさせ給ふ大事にはあらず。而るを華厳・法相・三論・真言・念仏等の翳眼の輩、彼々の経々と法華経とは同じとうちをもへるはつたなき眼なるべし。
但在世は四十余年をすてゝ法華経につき候ものもやありけん。仏滅後に此の経文を開見して信受せんことかたかるべし。先づ一には、爾前の経々は多言なり、法華経は一言なり。爾前の経々は多経なり、此の経は一経なり。彼々の経々は多年なり、此の経は八年なり。仏は大妄語の人、永く信ずべからず。不信の上に信を立てば、爾前の経々は信ずる事もありなん。法華経は永く信ずべからず。当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦んで帰依し、別々なるなんど申す人をば用ひず。たとい用ゆれども本意なき事とをもへり。
日蓮云はく、日本に仏法わたりてすでに七百余年、但伝教大師一人計り法華経をよめりと申すをば、諸人これを用ひず。但し法華経に云はく「若し須弥を接って他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為ず。
平成新編御書 ―533㌻―
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