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『開目抄㊤』


(★535㌻)
 大日経に云はく「我昔道場に坐して」等云云。仁王般若経に云はく「二十九年」等云云。
  此等は言ふにたらず。只耳目ををどろかす事は、無量義経に、華厳経の唯心法界、方等般若経の海印三昧・混同無二等の大法をかきあげて、或は未顕真実、或は歴劫修行等下す程の御経に「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」と初成道の華厳経の「始成」の文に同ぜられし、不思議と打ち思うところに、此は法華経の序分なれば正宗の事をばいわずもあるべし。法華経の正宗、略開三、広開三の御時「唯仏与仏乃能究尽諸法実相」等、「世尊法久後」等、「正直捨方便」等。多宝仏、迹門八品を指して「皆是真実」と証明せられしに、何事をか隠すべきなれども、久遠寿量をば秘せさせ給ひて、「我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す」等云云。最大一の大不思議なり。
  されば弥勒菩薩、涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を、仏「爾して乃ち之を教化して初めて道心を発こさしむ」等と、とかせ給ひしを疑って云はく「如来太子たりし時、釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまへり。是より已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て、大いに仏事を作したまへる」等云云。教主釈尊此等の疑ひを晴らさんがために寿量品をとかんとして、爾前迹門のきゝを挙げて云はく「一切世間の天人及び阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂へり」等云云。正しく此の疑ひに答へて云はく「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云云。
  華厳乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給へり。此等の経々に二つの失あり。一には「行布を存するが故に仍未だ権を開せず」と、迹門の一念三千をかくせり。二には「始成を言ふが故に曾て未だ迹を発せず」と、本門の久遠をかくせり。此等の二つの大法は一代の鋼骨、一切経の心髄なり。
 

平成新編御書 ―535㌻―

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