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『開目抄㊤』
(★537㌻)
肪・尚・光・基を弟子として、大慈恩寺並びに三百六十余箇国に弘め給ふ。日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に、道慈・道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり、三国第一の宗なるべし。此の宗の云はく、始め華厳経より終はり法華・涅槃経にいたるまで、無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず。仏語に二言なし。一度永不成仏と定め給ひぬる上は、日月は地に落ち給ふとも、大地は反覆すとも、永く変改有るべからず。されば法華経・涅槃経の中にも、爾前の経々に嫌ひし、無性有情・決定性を正しくついさして成仏すとはとかれず。まづ眼を閉じて案ぜよ。法華経・涅槃経に、決定性・無性有情、正しく仏になるならば、無著・世親ほどの大論師、玄奘・慈恩ほどの三蔵人師、これをみざるべしや。此をのせざるべしや。これを信じて伝へざるべしや。弥勒菩薩に問ひたてまつらざるべしや。汝は法華経の文に依るやうなれども、天台・妙楽・伝教の僻見を信受して、其の見をもって経文を見るゆえに、爾前に法華経は水火なりと見るなり。
華厳宗と真言宗は、法相・三論にはにるべくもなき超過の宗なり。二乗作仏・久遠実成は法華経に限らず、華厳経・大日経に分明なり。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空等は、天台・伝教にはにるべくもなき高位の人、其の上善無畏等は大日如来より糸みだれざる相承あり。此等の権化の人、いかでか誤りあるべき。随って華厳経には「或は釈迦仏道を成じ已はって、不可思議劫を経るを見る」等云云。大日経には「我は一切の本初なり」等云云。何ぞ但久遠実成、寿量品に限らん。譬へば、井底の蝦が大海を見ず、山左が洛中をしらざるがごとし。汝但寿量の一品を見て、華厳・大日経等の諸経をしらざるか。其の上月氏・尸那・新羅・百済等にも一同に二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。
されば八箇年の経は四十余年の経々には相違せりというとも、先判後判の中には後判につくべしというとも、猶爾前づりにこそおぼうれ。又但在世計りならばさもあるべきに、滅後に居せる論師人師、多くは爾前づりにこそ候へ。
平成新編御書 ―537㌻―
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