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『開目抄㊤』
(★538㌻)
かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば、聖賢はやうやくかくれ、迷者はやうやく多し。世間の浅き事すら猶あやまりやすし。何に況んや出世の深法誤りなかるべしや。犢子・方廣が聡敏なりし、猶大小乗経にあやまてり。無垢・摩沓が利根なりし、権実二教を弁へず。正法一千年の内は在世も近く、月氏の内なりし、すでにかくのごとし。況んや尸那・日本等は、国もへだて音もかはれり。人の根も鈍なり。寿命も日あさし。貪瞋癡も倍増せり。仏、世を去ってとし久し。仏経みなあやまれり。誰の智解か直かるべき。仏、涅槃経に記して云はく「末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土」と見へぬ。法滅尽経に云はく「謗法の者は恒河沙、正法の者は一二の小石」と記しをき給ふ。千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん。世間の罪に依って悪道に堕つる者は爪上の土、仏法によって悪道に堕つる者は十方の土。俗より僧、女より尼多く悪道に堕つべし。
此に日蓮案じて云はく、世すでに末代に入って二百余年、辺土に生をうく。其の上下賤、其の上、貧道の身なり。輪回六趣の間には人天の大王と生まれて、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず。大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入りぬべかりし時も、強盛の悪縁におとされて仏にもならず。しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来たるか。法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下し、理深解微と立て、未有一人得者千中無一等とすかしゝものに、無量生が間、恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと深く此をしれり。日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・
平成新編御書 ―538㌻―
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