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『日妙聖人御書』
(★605㌻)
然るに妙法蓮華経は八巻なり。八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦多宝の二仏の経なる故へ。十六巻は無量無辺の巻軸なり、十方の諸仏の証明ある故に。一字は二字なり、釈迦多宝の二仏の字なる故へ。一字は無量の字なり、十方の諸仏の証明の御経なる故に。譬へば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすことこれをなじ。法華経の文字は一字は一の宝、無量の字は無量の宝珠なり。妙の一字には二つの舌まします、釈迦多宝の御舌なり。此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり。此の重なる蓮華の上に宝珠あり、妙の一字なり。此の妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して、身をうえたる虎にかひし功徳、鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王としてそらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ。「今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子」これなり。我等具縛の凡夫忽ちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。
経に云はく「如我等無異」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。譬へば父母和合して子をうむ。子の身は全体父母の身なり。誰か是を諍ふべき。牛王の子は牛王なり。いまだ師子王とならず。師子王の子は師子王となる。いまだ人王天王等とならず。今法華経の行者は「其中衆生、悉是吾子」と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。但し不孝の者は父母の跡をつがず。尭王には丹朱と云ふ太子あり。舜王には商均と申す王子あり。二人共に不孝の者なれば、父の王にすてられて現身に民となる。重華と禹とは共に民の子なり。孝養の心ふかゝりしかば、尭舜の二王召して位をゆずり給ひき。民の身忽ちに玉体にならせ給ひき。民の現身に王となると凡夫の忽ちに仏となると同じ事なるべし。一念三千の肝心と申すはこれなり。
而るをいかにとしてか此の功徳をばうべきぞ。楽法梵志・雪山童子等のごとく皮をはぐべきか、身をなぐべきか、
平成新編御書 ―605㌻―
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