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『日妙聖人御書』


(★606㌻)
 臂をやくべきか等云云。章安大師云はく「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり。正法を修して仏になる行は時によるべし。日本国に紙なくば皮をはぐべし。日本国に法華経なくて、知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし。日本国に油なくば臂をもともすべし。あつき紙国に充満せり。皮をはいでなにかせん。然るに玄奘は西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御入唐但二年なり、波濤三千里をへだてたり。此等は男子なり、上古なり、賢人なり、聖人なり。いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記莂にあずかりしも、しらず権化にやありけん。又在世の事なり。男子女人其の性本より別れたり。火はあたたかに水はつめたし。海人は魚をとるにたくみなり。山人は鹿をとるにかしこし。女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。
  女人の心を清風に譬へたり。風はつなぐともとりがたきは女人の心なり。女人の心をば水にゑがくに譬へたり。水面には文字とどまらざるゆへなり。女人をば誑人にたとえたり。或る時は実なり或る時は虚なり。女人をば河に譬へたり。一切まがられるゆへなり。而るに法華経は正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔軟等・柔和質直者等と申して、正直なる事弓の絃のはれるごとく、墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。
  糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず。一切経は皆仏の金口の説不妄語の御言なり。然れども法華経に対しまいらすれば妄語のごとし、綺語のごとし、悪口のごとし、両舌のごとし。此の御経こそ実語の中の実語にて候へ。実語の御経をば正直の者心得候なり。
  今実語の女人にておはすか。当に知るべし、須弥山をいたゞきて大海をわたる人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。当に知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等、此の女人をば影の身にそうがごとくまぼり給ふらん。
 

平成新編御書 ―606㌻―

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