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『真言見聞』


(★609㌻)
 無間に堕つる事は都て無し。阿鼻の業因は経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法誹謗の者なり。但し五逆の中には一逆を犯す者は無間に堕すと雖も、一中劫を経て罪を尽くして浮かぶ。一戒をも犯さず、道心堅固にして後世を願うと雖も、法華に背きぬれば、無間に堕ちて展転無数劫と見えたり。然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり。是を以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや。諸法は現量に如かず。承久の兵乱の時、関東には其の用意もなし。国主として調伏を企て、四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる。其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行はる。七日に満ぜし日、京方負け畢んぬ。亡国の現証に非ずや。是は僅かに今生の小事なり。権経邪法に依って悪道に堕ちん事浅猿かるべし。
  問ふ、権教邪宗の証文は如何。既に真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵なり。故に上下一同に是の法に帰し、天下悉く大法を仰ぐ。海内を静め天下を治むる事偏に真言の力なり。然るを権教邪法と云ふ事如何。答ふ、権教と云ふ事、四教含蔵、帯方便の説なる経文顕然なればなり。然らば四味の諸経に同じて、久遠を隠し二乗を隔つ。況んや尽形寿の戒等を述ぶれば、小乗権教なる事疑ひ無し。爰を以て遣唐の疑問に、禅林寺の広修・国清寺の維蠲の決判分明に方等部の摂と云ひしなり。
  疑って云はく、経文の権教は且く之を置く。唐決の事天台の先徳円珍大師之を破す。大日経の指帰に「法華尚及ばず、況んや自余の教をや」云云。既に祖師の所判なり。誰か之に背くべきや。決に云はく「道理前の如し」と。依法不依人の意なり。但し此の釈を智証の釈と云ふ事不審なり。其の故は授決集の下に云はく「若し法華・華厳・般若等の経に望めば、是摂引門」と云へり。広修・維蠲を破する時は法華尚及ばずと書き、授決集には是摂引門と云って、二義相違せり。指帰が円珍の作ならば、授決集は智証の釈に非ず。授決集が実作ならば、指帰は智証の釈に非じ。今此の事を案ずるに、授決集が智証の釈と云ふ事、天下の人皆之を知る上、公家の日記にも之を載せたり。
 

平成新編御書 ―609㌻―

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