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『真言見聞』


(★610㌻)
 指帰は人多く之を知らず。公家の日記にも之無し。此を以て彼を思ふに後の人作って智証の釈と号するか。能く能く尋ぬべき事なり。授決集は正しき智証の自筆なり。密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て、論を引き伝を三国に寄せ、家々の日記と号し、我が宗を厳るとも、皆是妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり。所詮法華経は大日経より三重の劣・戯論の法にして釈尊は無明纏縛の仏と云ふ事、慥なる如来の金言経文を尋ぬべし。証文無くんば何と云ふとも法華誹謗の罪過を免れず。此の事当家の肝心なり。返す返す忘失する事勿れ。何れの宗にも正法誹謗の失之有り。対論の時は但此の一段に在り。
  仏法は自他宗異りと雖も、翫ぶ本意は道俗・貴賤共に離苦得楽・現当二世の為なり。謗法に成り伏して悪道に堕つべくは、文殊の智慧・富楼那の弁説一分も無益なり。無間に堕つる程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将た善事を成すべきや。顕密対判の釈は且く之を置く。華厳に法華劣ると云ふ事、能く能く思惟すべきなり。
  華厳経の十二に云はく四十華厳なり「又彼の所修の一切功徳、六分の一常に王に属す。是くの如く修及び造を障る不善所有の罪業、六分の一還って王に属す」文。六波羅蜜経の六に云はく「若し王の境内に殺を犯す者有れば、其の王便ち第六分の罪を獲ん。偸盗・邪行及び妄語も亦復是くの如し。何を以ての故に、若しは法も非法も王為れ根本なれば、罪に於ても福に於ても、第六の一分は皆王に属するなり」云々。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来たり国人喪乱に遭はん」等云々。大集経に云はく「若し復諸の刹利国王、諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し、刀杖もて打斫し、及び衣鉢種々の資具を奪ひ、若しは他の給施に留難を作す者有らば、我等彼をして自然に卒に他方の怨敵を起こさしめ、及び自国の土にも亦兵起・病疫・飢饉し、非時に風雨し闘諍言訟せしめ、又其の王をして久しからずして、復当に己が国を忘失すべからしむ」云云。大三界義に云はく「爾の時に諸人共に聚まりて、衆の内に一人の有徳の人を立て、名づけて田主と為し、
 

平成新編御書 ―610㌻―

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