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『祈祷抄』


(★633㌻)
 太元法 蔵有僧都
 五壇法 太政僧正。永信法印。全尊僧都。猷円僧都。行遍僧都。
 守護経法 御室之を行なはせる我が朝二度之を行ふ。
  五月二十一日武蔵守殿海道より上洛し甲斐源氏は山道を上る、式部殿は北陸道を上り給ふ。六月五日大津をかたむる手、甲斐源氏に破られ畢んぬ。同六月十三日十四日宇治橋の合戦、同十四日京方破られ畢んぬ。同十五日に武蔵守殿六条へ入り給ふ。諸人入り畢んぬ。七月十一日に本院は隠岐国へ流され給ひ、中院は阿波国へ流され給ひ、第三院は佐渡国へ流され給ふ。殿上人七人誅殺せられ畢んぬ。
  かゝる大悪法、年を経て漸々に関東に落ち下りて、諸堂の別当供僧となり連々と之を行なふ。本より教法の邪正勝劣をば知ろし食さず。只三宝をばあがむべき事とばかりおぼしめす故に、自然として是を用ひきたれり。関東の国々のみならず、叡山・東寺・園城寺の座主・別当、皆関東の御計らひと成りぬる故に、彼の法の檀那と成り給ひぬるなり。
  問うて云はく、真言の教を強ちに邪教と云ふ心如何。答へて云はく、弘法大師云はく、第一大日経・第二華厳経・第三法華経と、能く能く此の次第を案ずべし。仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給へるや。若し第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給へる経あるならば尤も然るべし。其の義なくんば甚だ以て依用し難し。法華経に云はく「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり」云云。仏正しく諸経を挙げて其の中に於て法華第一と説き給ふ。仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。尋ね究むべき事なり。此の筆を数百年が間、凡僧・高僧是を学し、貴賤・上下是を信じて、大日経は一切経の中に第一とあがめける事、仏意に叶はず。心あらん人は能く能く思ひ定むべきなり。若し仏意に相叶はぬ筆ならば、
 

平成新編御書 ―633㌻―

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