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『観心本尊抄』


(★651㌻)
 但し「諸法の中の悪を断じたまへり」の経文を会すべきなり。彼は法華経に爾前の経文を載するなり。往いて之を見るに、経文分明に十界互具之を説く。所謂「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。天台此の経文を承けて云はく「若し衆生に仏の知見無くんば何ぞ開を論ずる所あらん。当に知るべし、仏の知見衆生に蘊在することを」云云。章安大師の云はく「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん。若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」等云云。
  但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり。此の事を仏遮会して云はく「已今当説、最為難信難解」と。次下の六難九易是なり。天台大師云はく「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し。鋒に当たるの難事なり」と。章安大師の云はく「仏此を将て大事と為す、何ぞ解し易きことを得べけんや」と。伝教大師云はく「此の法華経は最もこれ難信難解なり、随自意の故に」等云云。夫仏より滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴して但三人のみ有りて始めて此の正法を覚知せり。所謂月支の釈尊、真旦の智者大師、日域の伝教此の三人は内典の聖人なり。問うて曰く、竜樹・天親等は如何。答へて曰く、此等の聖人は知って之を言はざる仁なり。或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云はず、或は機有って時無きか、或は機と時と共に之無きか。天台・伝教已後は之を知る者多々なり、二聖の智を用ゆるが故なり。所謂三論の嘉祥、南三北七の百余人、華厳宗の法蔵・清涼等、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、律宗の道宣等初めには反逆を存し、後には一向に帰伏せしなり。
  但し初めの大難を遮せば、無量義経に云はく「譬へば国王と夫人と新たに王子を生ぜん。若しは一日若しは二日若しは七日に至り、若しは一月若しは二月若しは七月に至り、若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、復国事を領理すること能はずと雖も、已に臣民に宗敬せられ諸の大王の子を以て伴侶と為ん。
 

平成新編御書 ―651㌻―

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