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『呵責謗法滅罪抄』


(★714㌻)
 初発心より又他仏につかずして、二門をもふまざる人々なりと見えて候。天台の云はく「但下方の発誓を見る」等云云。又云はく「是我が弟子なり、応に我が法を弘むべし」等云云。妙楽の云はく「子父の法を弘む」等云云。道暹云はく「法是久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此の妙法蓮華経の五字をば此の四人に譲られ候。
  而るに仏の滅後正法一千年・像法一千年・末法に入って二百二十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に、未だ一度も出でさせ給はざるは何なる事にて有るらん。正しく譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は、仏の滅後四百五十年まで此の土におはして、大乗経を弘めさせ給ひ、其の後も香山・清涼山より度々来たって大僧等と成って法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり。迦葉・阿難等は仏の滅後二十年・四十年法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。二千二百余年が間、教主釈尊の絵像・木像を、賢王・聖主は本尊とす。然れども但小乗・大乗・華厳・涅槃・観経・法華経の迹門・普賢経等の仏、真言大日経等の仏、宝塔品の釈迦多宝等をば書けども、いまだ寿量品の釈尊は山寺精舎にましまさず。何なる事とも量りがたし。釈迦如来は後五百歳と記し給ひ、正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず。天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り」等と書き給ひて、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。さればをしはかるに、地涌千界の大菩薩は釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲り御約束を空しく黙止て、はてさせ給ふべきか。
  外典の賢人すら時を待つ、郭公と申す畜鳥は卯月・五月に限る。此の大菩薩も末法に出づべしと見えて候。いかんと候べきぞ。瑞相と申す事は内典・外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云ふなり。蜘蛛かゝて喜び事来たり、鳱鳴いて客人来たると申して、小事すら験先に現ず、何に況んや大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり。涌出品は又此には似るべくもなき大瑞なり。
 

平成新編御書 ―714㌻―

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