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『呵責謗法滅罪抄』


(★715㌻)
 故に天台の云はく「雨の猛きを見ては竜の大きなる事を知り、華の盛んなるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候。妙楽の云はく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」云云。今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞なり。此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給ふべき先瑞なるか。尺の池には丈の浪たゝず、驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依っては此の大瑞現じがたし。誰か知らん、法華経の滅不滅の大瑞なりと。
  二千余年の間悪王の万人に訾らるゝ、謀叛の者の諸人にあだまるゝ等。日蓮が失もなきに高きにも下きにも、罵詈毀辱・刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。而も仏彼の例を引いて云はく「我が滅後の末法にも然るべし」等と記せられて候に、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経の故にかゝる事有りとは未だ聞こえず。人は悪んで是を云はず。我と是を云はゞ自讃に似たり、云はずば仏語を空しくなす過あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す。日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はゞ日蓮が仏果疑ふべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず。知らず、無数劫をや経んずらん、不便なり不便なり。
  疑って云はく、正嘉の大地震等の事は、去ぬる文応元年太歳庚申七月十六日宿屋の入道に付けて、故最明寺入道殿へ奉る所の勘文立正安国論には、法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に、天地瞋りをなし、自界叛逆難と他国侵逼難起こるべしと勘へたり。此には法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後の相違之有るか如何。答へて云はく、汝能く之を問へり。法華経の第四に云はく「而も此の経は如来現在にすら猶怨嫉多し、
 

平成新編御書 ―715㌻―

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