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『聖密房御書』


(★726㌻)
 仏の父仏の母なるべし。百余年已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて、大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なりとかけるをば、智慧かしこき人は用ふべしや。事勝と申すは印・真言なしなんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か、漢土の法華経・大日経の勝劣か。不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印・真言をそへて訳せり。仁王経にも羅什の訳には印・真言なし。不空の訳の仁王経には印・真言これあり。此等の天竺の経々には無量の事あれども、月氏・漢土、国をへだてゝとをく、ことごとくもちて来がたければ、経を略するなるべし。法華経には印・真言なけれども、二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり。大日経等には印・真言はあれども、二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり。四十余年の経々には二乗は敗種の人と一字二字ならず無量無辺の経々に嫌はれ、法華経にはこれを破して二乗作仏を宣べたり。いづれの経々にか印・真言を嫌ふことばあるや。その言なければ又大日経にも其の名を嫌はず、但印・真言をとけり。印と申すは手の用なり。手仏にならずば、手の印仏になるべしや。真言と申すは口の用なり。口仏にならずば、口の真言仏になるべしや。二乗の三業は法華経に値ひたてまつらずば、無量劫、千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず。勝れたる二乗作仏の事法をばとかずと申して、劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは、理によれば盗人なり、事によれば劣謂勝見の外道なり。此の失によりて閻魔の責めをばかほりし人なり。後にくいかへして、天台大師を仰いで法華にうつりて悪道をば脱れしなり。
  久遠実成なんどは大日経にはをもひもよらず。久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。天台宗の人々この事を弁へずして、真言師にたぼらかされたり。真言師は又自宗の誤りをしらず、いたづらに悪道の邪念をつみをく。空海和尚は此の理を弁へざる上、華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、
 

平成新編御書 ―726㌻―

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