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『三三藏祈雨事』


(★873㌻)
 №0202
     三三蔵祈雨事 建治元年六月二二日  五四歳
 
  夫木をうへ候には、大風ふき候へどもつよきすけをかひぬればたうれず。本より生ひて候木なれども、根の弱きはたうれぬ。甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健の者も独りなれば悪しきみちにはたうれぬ。又、三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よにいで給はずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はをほく仏になりしなり。まして阿闍世王・あうくつまらなんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあわせ給ひてこそ、仏にはならせ給ひしか。されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちゑなににかせん。たゞあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせちなり。而るに善知識に値ふ事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下げて大地のはりのめに入るにたとへ給へり。而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別・円二教ををしへていまだ純円ならず。常啼菩薩は身をうて善智識をもとめしに、曇無竭菩薩にあへり。通・別・円の三教をならひて法華経ををしへず。舎利弗は金師が善知識、九十日と申せしかば闡提の人となしたりき。ふるなは一夏の説法に大乗の機を小人となす。大聖すら法華経をゆるされず、証果のらかん機をしらず。末代悪世の学者等をば此をもってすひしぬべし。天を地といゐ、東を西といゐ、火を水とをしへ、星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたりなんど申す人々を信じて候はん人々は、ならわざらん悪人にははるかをとりてあしかりぬべし。
 

平成新編御書 ―873㌻―

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