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『王舎城事』


(★975㌻)
 名にをそれてやくべからずと申せしかば、さるへんもとて王舎城とぞなづけられしかば、それより火災とゞまりぬ。されば大果報の人をば大火はやかざるなり。
  これは国王已にやけぬ。知んぬ、日本国の果報のつくるしるしなり。然るに此の国は大謗法の僧等が強盛にいのりをなして日蓮を降伏せんとする故に、弥々わざはひ来たるにや。其の上名と申す事は体を顕はし候に、両火房と申す謗法の聖人鎌倉中の上下の師なり。一火は身に留まりて極楽寺焼けて地獄寺となりぬ。又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ひぬ。又一火は現世の国をやきぬる上に、日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の炎にもえ候べき先表なり。愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用ひ候はぬは是体に候なり。不便不便。先々御文まいらせ候ひしなり。
  御馬のがいて候へば、又ともびきしてくり毛なる馬をこそまうけて候へ。あはれあはれ見せまいらせ候はゞや。名越の事は是にこそ多くの子細どもをば聞いて候へ。ある人のゆきあひて、理具の法門自讃しけるをさむざむにせめて候ひけると承り候。
  又女房の御いのりの事、法華経をば疑ひまいらせ候はねども、御信心やよはくわたらせ給はんずらん。如法に信じたる様なる人々も、実にはさもなき事とも是にて見て候。それにも知ろしめされて候。まして女人の御心、風をばつなぐともとりがたし。御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつるよはく、太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし。あへて法華経の御とがにては候べからず。よくよく念仏と持斎とを我もすて、人をも力のあらん程はせかせ給へ。譬へば左衛門殿の人ににくまるゝがごとしと、こまごまと御物語り候へ。いかに法華経を御信用ありとも、法華経のかたきをとわりほどにはよもおぼさじとなり。
  一切の事は父母にそむき、国王にしたがはざれば、不孝の者にして天のせめをかうふる。
 

平成新編御書 ―975㌻―

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