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『報恩抄』


(★1030㌻)
 或は後家尼御前等えつひて無尽のざんげんをなせし程に、最後には天下第一の大事、日本国を失はんと呪そする法師なり。故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。御尋ねあるまでもなし、但須臾に頚をめせ。弟子等をば又或は頚を切り、或は遠国につかはし、或は篭に入れよと尼ごぜんたちいからせ給ひしかば、そのまヽ行なはれけり。
  去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、其の夜はのびて依智というところへつきぬ。又十三日の夜はゆりたりとどヾめきしが、又いかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに、結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆりて、同じき三月二十六日に鎌倉へ入り、同じき四月の八日、平左衛門尉に見参してやうやうの事申したりし中に、今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ。同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり。これはひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざればさてこそ候へ。又賢人の習ひ、三度国をいさむるに用ゐずば山林にまじわれということは定まれるれいなり。此の功徳は定んで上は三宝より下梵天・帝釈・日月までもしろしめしぬらん。父母も故導善房の聖霊も扶かり給ふらん。但し疑ひ念ふことあり。目連尊者は扶けんとをもいしかども母の青提女は餓鬼道に堕ちぬ。大覚世尊の御子なれども善星比丘は阿鼻地獄へ堕ちぬ。これは力のまヽすくはんとをぼせども自業自得果のへんはすくひがたし。故導善房はいたう弟子なれば日蓮をばにくしとはをぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはなれじと執せし人なり。地頭景信がをそろしといゐ、提婆・瞿伽利にことならぬ円智・実城が上と下とに居てをどせしをあながちにをそれて、いとをしとをもうとしごろの弟子等をだにもすてられし人なれば、後生はいかんがと疑う。但一つの冥加には景信と円智・実城とがさきにゆきしこそ一つのたすかりとはをもへども、
 

平成新編御書 ―1030㌻―

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