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『報恩抄』


(★1031㌻)
 彼等は法華経の十羅刹のせめをかほりてはやく失せぬ。後にすこし信ぜられてありしは、いさかひの後のちぎりぎなり、ひるのともしびなにかせん。其の上いかなる事あれども子・弟子なんどいう者は不便なる者ぞかし。力なき人にもあらざりしが、さどの国までゆきしに一度もとぶらはれざりし事は、信じたるにはあらぬぞかし。それにつけてもあさましければ、彼の人の御死去ときくには火にも入り、水にも沈み、はしりたちてもゆひて、御はかをもたヽいて経をも一巻読誦せんとこそをもへども、賢人のならひ心には遁世とはをもはねども、人は遁世とこそをもうらんに、ゆへもなくはしり出づるならば末もとをらずと人をもうべし。さればいかにをもうとも、まいるべきにあらず。但し各々二人は日蓮が幼少の師匠にてをはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが、かへりて御弟子とならせ給ひしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、をひてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり。後生は疑ひおぼすべからず。
  問うて云はく、法華経一部八巻二十八品の中に何物か肝心なる。答へて云はく、華厳経の肝心は大方広仏華厳経、阿含経の肝心は仏説中阿含経、大集経の肝心は大方等大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、双観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝心は仏説観無量寿経、阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃経の肝心は大般涅槃経。かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目、其の経の肝心なり。大は大につけ小は小につけて題目をもて肝心とす。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等亦復かくのごとし。仏も又かくのごとし。大日如来・日月灯明仏・燃灯仏・大通仏・雲雷音王仏、是等も又名の内に其の仏の種々の徳をそなへたり。今の法華経も亦もってかくのごとし。如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心、一切の諸仏・菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり。問うて云はく、南無妙法蓮華経と心もしらぬ者の唱ふると南無大方広仏華厳経と心もしらぬ者の唱ふると斉等なりや、浅深の功徳差別せりや。答へて云はく、浅深等あり。
 

平成新編御書 ―1031㌻―

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