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『報恩抄』


(★1032㌻
 疑って云はく、其の心如何。答へて云はく、小河は露と涓と井と渠と江とをば収むれども大河ををさめず。大河は露乃至小河を摂むれども大海ををさめず。阿含経は井江等露涓をおさめたる小河のごとし。方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は小河をおさむる大河なり。法華経は露・涓・井・江・小河・大河・天雨等の一切の水を一渧ももらさぬ大海なり。譬へば身の熱き者の大寒水の辺にいねつればすヾしく、小水の辺に臥しぬれば苦しきがごとし。五逆謗法の大一闡提の人、阿含・華厳・観経・大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さんじがたし。法華経の大雪山の上に臥しぬれば五逆・誹謗・一闡提等の大熱忽ちに散ずべし。されば愚者は必ず法華経を信ずべし。各々経々の題目は易き事同じといへども、愚者と智者との唱ふる功徳は天地雲泥なり。譬へば大綱は大力も切りがたし。小力なれども小刀をもてばたやすくこれをきる。譬へば堅石をば鈍刀をもてば大力も破りがたし。利剣をもてば小刀も破りぬべし。譬へば薬はしらねども服すれば病やみぬ。食は服せども病やまず。譬へば仙薬は命をのべ、凡薬は病をいやせども命をのべず。
  疑って云はく、二十八品の中に何れか肝心なる。答へて云はく、或は云はく、品々皆事に随ひて肝心なり。或は云はく、方便品・寿量品肝心なり。或は云はく、方便品肝心なり。或は云はく、寿量品肝心なり。或は云はく、開・示・悟・入肝心なり。或は云はく、実相肝心なり。
  問うて云はく、汝が心如何。答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。其の証如何。答へて云はく、阿難・文殊等、如是我聞等云云。問うて曰く、心如何。答へて云はく、阿難と文殊とは八年が間此の法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聴聞してありしが、仏の滅後に結集の時九百九十九人の阿羅漢が筆を染めてありしに、妙法蓮華経とかヽせて次に如是我聞と唱へさせ給ひしは、妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずや。されば過去の灯明仏の時より法華経を講ぜし光宅寺の法雲法師は「如是とは将に所聞を伝へんとして前題に一部を挙ぐるなり」等云云。
 

平成新編御書 ―1032㌻―

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