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『報恩抄』


(★1033㌻)
 霊山にまのあたりきこしめしてありし天台大師は「如是とは所聞の法体なり」等云云。章安大師の云はく、記者釈して曰く「蓋し序王とは経の玄意を叙し玄意は文の心を述す」等云云。此の釈に文心とは題目は法華経の心なり。妙楽大師云はく「一代の教法を収むること法華の文心より出づ」等云云。天竺は七十箇国なり、総名は月氏国。日本は六十箇国、総名は日本国。月氏の名の内に七十箇国乃至人畜珍宝みなあり。日本と申す名の内に六十六箇国あり。出羽の羽も奥州の金も乃至国の珍宝人畜乃至寺塔も神社も、みな日本と申す二字の名の内に摂まれり。天眼をもっては、日本と申す二字を見て六十六箇国乃至人畜等をみるべし。法眼をもっては、人畜等の此に死し彼に生ずるをもみるべし。譬へば人の声をきいて体をしり、跡をみて大小をしる。蓮をみて池の大小を計り、雨をみて竜の分斉をかんがう。これはみな一に一切の有ることわりなり。阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども、但小釈迦一仏ありて他仏なし。華厳経・観経・大日経等には又一切有るやうなれども、二乗を仏になすやうと久遠実成の釈迦仏なし。例せば華さいて菓ならず、雷なって雨ふらず、鼓あて音なし、眼あて物をみず、女人あて子をうまず、人あて命なし又神なし。大日の真言・薬師の真言・阿弥陀の真言・観音の真言等又かくのごとし。彼の経々にしては大王・須弥山・日月・良薬・如意珠・利剣等のやうなれども、法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず皆各々当体の自用を失ふ。例せば衆星の光の一つの日輪にうばはれ、諸の鉄の一つの磁石に値ふて利精のつき、大剣の小火に値ひて用を失ひ、牛乳・驢乳等の師子王の乳に値ひて水となり、衆狐が術、一犬に値ひて失ひ、狗犬が小虎に値ひて色を変ずるがごとし。南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の用も、南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も、一切の諸仏諸経諸菩薩の用も、皆悉く妙法蓮華経の用に失はる。彼の経々は妙法蓮華経の用を借らずば、皆いたづらものなるべし。当時眼前のことはりなり。日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば、南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひるがごとく、
 

平成新編御書 ―1033㌻―

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