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『種種御振舞御書』


(★1064㌻)
 眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱へ、夜は月星に向かひ奉りて諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ。いづくも人の心のはかなさは、佐渡の国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・生喩房・印性房・慈道房等の数百人より合ひて僉議すと承る。聞こふる阿弥陀仏の大怨敵、一切衆生の悪知識の日蓮房此の国にながされたり。なにとなくとも、此の国へ流されたる人の始終いけらるゝ事なし。設ひいけらるゝとも、かへる事なし。又打ちころしたれども、御とがめなし。塚原と云ふ所に只一人あり。いかにがうなりとも、力つよくとも、人なき処なれば集まりていころせかしと云ふものもありけり。又なにとなくとも頚を切らるべかりけるが、守殿の御台所の御懐妊なれば、しばらくきられず、終には一定ときく。又云はく、六郎左衛門尉殿に申して、きらずんばはからうべしと云ふ。多くの義の中にこれについて守護所に数百人集まりぬ。六郎左衛門尉の云はく、上より殺しまうすまじき副状下りて、あなづるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかしと云ひければ、念仏者等或は浄土の三部経、或は止観、或は真言等を、小法師等が頚にかけさせ、或はわきにはさませて正月十六日にあつまる。佐渡国のみならず、越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国々より集まれる法師等なれば、塚原の堂の大庭山野に数百人、六郎左衛門尉兄弟一家、さならぬもの百姓の入道等かずをしらず集まりたり。念仏者は口々に悪口をなし、真言師は面々に色を失ひ、天台宗ぞ勝つべきよしをのゝしる。在家の者どもは、聞こふる阿弥陀仏のかたきよとのゝしりさはぎひゞく事、震動雷電の如し。日蓮は暫くさはがせて後、各々しづまらせ給へ、法門の御為にこそ御渡りあるらめ、悪口等よしなしと申せしかば、六郎左衛門を始めて諸人然るべしとて、悪口せし念仏者をばそくびをつきいだしぬ。さて止観・真言・念仏の法門一々にかれが申す様をでっしあげて、承伏せさせては、ちゃうとはつめつめ、一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ。利剣をもてうりをきり、
 

平成新編御書 ―1064㌻―

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