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『種種御振舞御書』


(★1065㌻)
 大風の草をなびかすが如し。仏法のおろかなるのみならず、或は自語相違し、或は経文をわすれて論と云ひ、釈をわすれて論と云ふ。善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷を投げたる、大日如来と現じたる等をば、或は妄語、或は物にくるへる処を一々にせめたるに、或は悪口し、或は口を閉ぢ、或は色を失ひ、或は念仏ひが事なりけりと云ふものもあり。或は当座に袈裟・平念珠をすてゝ念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。皆人立ち帰る程に、六郎左衛門尉も立ち帰る、一家の者も返る。
  日蓮不思議一つ云はんと思ひて、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云はく、いつか鎌倉へのぼり給ふべき。かれ答へて云はく、下人共に農せさせて七月の比と云云。日蓮云はく、弓箭とる者は、をゝやけの御大事にあひて所領をも給はり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに、急ぎうちのぼり高名して所知を給はらぬか。さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくり、いくさにはづれたらんは恥なるべしと申せしかば、いかにや思ひげにて、あはてゝものもいはず。念仏者・持斎・在家の者どももなにと云ふ事ぞやと怪しむ。
  さて皆帰りしかば、去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頚切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使ひにとらせぬ。つきたる弟子等もあらぎかなと思へども、力及ばざりげにてある程に、二月の十八日に島に船つく。鎌倉に軍あり、京にもあり、そのやう申す計りなし。六郎左衛門尉其の夜にはやふねをもて、一門相具してわたる。日蓮にたな心を合はせて、
 

平成新編御書 ―1065㌻―

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