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『種種御振舞御書』


(★1066㌻)
 たすけさせ給へ、去ぬる正月十六日の御言いかにやと此の程疑ひ申しつるに、いくほどなく三十日が内にあひ候ひぬ。又蒙古国も一定渡り候なん。念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん。永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云ふとも、相模守殿等の用ひ給はざらんには、日本国の人用ゆまじ。用ゐずば国必ず亡ぶべし。日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし。わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは此の国には重んずけれども、梵釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし。されども此の神人なんどをあやまちぬれば、只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし。太政入道・隠岐法皇等のほろび給ひしは是なり。此はそれにはにるべくもなし。教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。何に況んや数百人ににくませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、はうに過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざわひなり。和殿原とても此の島とても安穏なるまじきなりと申せしかば、あさましげにて立ち帰りぬ。さて在家の者ども申しけるは、此の御房は神通の人にてましますか、あらおそろしおそろし。今は念仏者をもやしなひ、持斎をも供養すまじ。念仏者・良観が弟子の持斎等が云はく、此の御房は謀叛の内に入りたりけるか。さて且くありて世間しづまる。
  又念仏者集まりて僉議す。かうてあらんには、我等かつえしぬべし。いかにもして此の法師を失はゞや。既に国の者も大体つきぬ、いかんがせん。念仏者の長者の唯阿弥陀仏・持斎の長者生喩房・良観が弟子道観等、鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す。此の御房島に候ものならば、堂塔一宇も候べからず、僧一人も候まじ。阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひるも高き山に登りて、日月に向かって大音声を放って上を呪咀し奉る。
 

平成新編御書 ―1066㌻―

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