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『種種御振舞御書』


(★1067㌻)
 其の音声一国に聞ふと申す。武蔵前司殿是をきゝ、上へ申すまでもあるまじ、先づ国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ、或はろうに入れよと、私の下知を下す、又下文下る。かくの如く三度、其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし。或は其の前をとをれりと云ひてろうに入れ、或は其の御房に物をまいらせけりと云ひて国をおひ或は妻子をとる。かくの如くして上へ此の由を申されければ、案に相違して、去ぬる文永十一年二月十四日御赦免の状、同じき三月八日に島につきぬ。念仏者等僉議して云はく、此程の阿弥陀仏の御敵、善導和尚・法然上人をのるほどの者が、たまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを、御赦免あるとていけて帰さんは心うき事なりと云ひて、やうやうの支度ありしかども、何なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来たりて島をばたちしかば、あはいあしければ百日五十日にもわたらず。順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ。越後のこう、信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言等は雲集して僉議す。島の法師原は今までいけてかへすは人かったいなり。我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをすまじと僉議せしかども、又越後のこうより兵者どもあまた日蓮にそひて善光寺をとをりしかば力及ばず。三月十三日に島を立ちて、同じき三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。
  同じき四月八日平左衛門尉に見参しぬ。さきにはにるべくもなく威儀を和らげてたゞしくする上、或入道は念仏をとふ、或俗は真言をとふ、或人は禅をとふ、平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ。一々に経文を引きて申す。平左衛門尉は上の御使ひの様にて、大蒙古国はいつか渡り候べきと申す。日蓮答へて云はく、今年は一定なり、それにとっては日蓮己前より勘へ申すをば御用ひなし。譬へば病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし。真言師だにも調伏するならば、弥此の国軍にまくべし穴賢穴賢。真言師総じて当世の法師等をもて御祈り有るべからず。各々は仏法をしらせ給ふておわすにこそ申すともしらせ給はめ。
 

平成新編御書 ―1067㌻―

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