←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『種種御振舞御書』


(★1068㌻)
 又何なる不思議にやあるらん、他事にはことにして日蓮が申す事は御用ひなし。後に思ひ合はせさせ奉らんが為に申す。隠岐法皇は天子なり。権大夫殿は民ぞかし。子の親をあだまんをば天照太神うけ給ひなんや。所従が主君を敵とせんをば正八幡は御用ひあるべしや。いかなりければ公家はまけ給ひけるぞ。此は偏に只事にはあらず。弘法大師の邪義、慈覚大師・智証大師の僻見をまことと思ひて、叡山・東寺・園城寺の人々の鎌倉をあだみ給ひしかば、還著於本人とて其の失還って公家はまけ給ひぬ。武家は其の事知らずして調伏も行はざればかちぬ。今又かくの如くなるべし。ゑぞは死生不知のもの、安藤五郎は因果の道理を弁へて堂塔多く造りし善人なり。いかにとして頚をばゑぞにとられぬるぞ。是をもて思ふに、此の御房たちだに御祈りあらば入道殿事にあひ給ひぬと覚え候。あなかしこあなかしこ。さいはざりけるとおほせ候なと、したゝかに申し付け候ひぬ。
  さてかへりきゝしかば、同四月十日より阿弥陀堂法印に仰せ付けられて雨の御いのりあり。此の法印は東寺第一の智人、をむろ等の御師、弘法大師・慈覚大師・智証大師の真言の秘法を鏡にかけ、天台・華厳等の諸宗をみな胸にうかべたり。それに随ひて十日よりの祈雨に十一日に大雨下りて風ふかず、雨しづかにて一日一夜ふりしかば、守殿御感のあまりに、金三十両、むま、やうやうの御ひきで物ありときこふ。鎌倉中の上下万人、手をたゝき口をすくめてわらうやうは、日蓮ひが法門申して、すでに頚をきられんとせしが、とかうしてゆりたらば、さではなくして念仏・禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをもそしるゆへに、かゝる法のしるしめでたしとのゝしりしかば、日蓮が弟子等けうさめて、これは御あら義と申せし程に、日蓮が申すやうは、しばしまて、弘法大師の悪義まことにて国の御いのりとなるべくば、隠岐法皇こそいくさにかち給はめ。をむろ最愛の児せいたかも頚をきられざるらん。弘法の法華経を華厳経にをとれりとかける状は、十住心論と申す文にあり。寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされたる文は秘蔵宝鑰に候。天台大師をぬす人とかける状は二教論にあり。
 

平成新編御書 ―1068㌻―

provided by