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『妙法比丘尼御返事』


(★1259㌻)
 謗法と申す大なる穴に堕ち入りて、十悪五逆と申して、日々夜々に殺生・偸盗・邪淫・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる智者聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思ふ程に、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候ひけるぞ。譬へば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまちはなけれども我が心のたらぬ上、身にあやしきふるまひかさなるを、猶我が身にも失ありともしらず、又傍輩も不思議ともをもはざるに、后等の御事によりてあやまつ事はなけれども、自然にふるまひあしく、王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其の失重し。此の身とがにかゝりぬれば、父母・兄弟・所従なんども又かるからざる失にをこなはるゝ事あり。謗法と申す罪をば、我もしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり。所謂勝意比丘・苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち、三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず。又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人々、存じの外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて、師とともに苦を受けしぞかし。此の人後生のために衆善を修せしより外は又心なかりしかども、かゝる不祥にあひて候ひしぞかし。
  かゝる事を見候ひしゆへに、あらあら経論を勘へ候へば日本国の当世こそ其れに似て候へ。代末になり候へば、世間のまつり事のあらきにつけても世の中あやうかるべき上、此の日本国は他国にもにず仏法弘まりて国をさまるべきかと思ひて候へば、中々仏法弘まりて世もいたく衰へ、人も多く悪道に堕つべしと見へて候。其の故は日本国は月氏漢土よりも堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。其の上、家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像に書き、人毎に六万八万等の念仏を申す。又他方を抛ちて西方を願ふ。愚者の眼にも貴しと見え候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給ふ。又人王五十代桓武天皇の御宇に、弘法大師と申す聖人此の国に生まれて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習ひ伝へ、平城・嵯峨・淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申す聖人同じく此の宗を習ひ伝へて叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺一同に此の法を伝へ、今に真言を行なひ鈴をふりて公家武家の御祈りをし候。所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是なり。是は古も御たのみある上、当世の国主等、家には柱、天には日月、河には橋、海には船の如く御たのみあり。
  禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給ふて、父母よりも重んじ神よりも御たのみあり。されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあざふ。かゝる世にいかなればにや候らん、
 

平成新編御書 ―1259㌻―

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