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『法華初心成仏抄』


(★1317㌻)
 法華経を説き給ふ浄土へ直ちに往生して座席に列りて法華経を聴聞して、やがてに仏になるべきなり。然るに今世にして法華経は機に叶はずと云ひうとめて、西方浄土にて法華経をさとるべしと云はん者は、阿弥陀の浄土にても法華経をさとるべからず、十方の浄土にも生まるべからず、法華経に背く咎重きが故に、永く地獄に堕つべしと見えたり。其人命終入阿鼻獄と云へる是なり。
  問うて云はく、即往安楽世界阿弥陀仏と云云。此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は、阿弥陀仏の浄土に生まるべしと説き給へり。念仏を申しても阿弥陀の浄土に生まるべしと云ふ。浄土既に同じ、念仏も法華経も等しと心え候べきか如何。答へて云はく、観経は権教なり、法華経は実教なり、全く等しかるべからず。其の故は仏世に出でさせ給ひて、四十余年の間多くの法を説き給ひしかども、二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて、成仏すべしとは一言も仰せられざりしに、此の経にこそ敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も仏になるとは説き給ひ候ひつれ。其の旨経文に見えたり。華厳経には「女人は地獄の使ひなり能く仏の種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云へり。銀色女経には「三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも、法界の女人は永く仏になるべからず」と見えたり。又経に云はく「女人は大鬼神なり、能く一切の人を喰らふ」と。竜樹菩薩の大論には「一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶ」と見えたり。されば実にてや有りけん、善導和尚は謗法なれども女人をみずして一期生と云はれたり。又業平が歌にも、葎をいてあれたるやどのうれたきはかりにも鬼のすだくなりけりと云ふも、女人をば鬼とよめるにこそ侍れ。又女人には五障三従と云ふ事あるが故に罪深しと見えたり。五障とは、一には梵天王、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏にならずと見えたり。又三従とは、女人は幼き時は親に従ひて心にまかせず、人となりては男に従ひて心にまかせず、年よりぬれば子に従ひて心にまかせず。加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従ひて心にまかせず、思ふ事もいはず、見たき事をもみず、聴聞したき事もきかず、是を三従とは説くなり。されば栄啓期が三楽を立てたるにも、
 

平成新編御書 ―1317㌻―

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