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『法華初心成仏抄』


(★1319㌻)
 此の文の心は釈迦仏一期五十年の説法の中に始めの華厳経にも真実をとかず、中の方等般若にも真実をとかず。此の故に禅宗・念仏・戒等を行ずる人は無量無辺劫をば過ぐとも仏にならじと云ふ文なり。仏四十二年の歳月を経て後、法華経を説き給ふ文には「世尊の法は久しくして後に要ず当に真実を説きたまふべし」と仰せられしかば、舍利弗等の千二百の羅漢、万二千の声聞、弥勒等の八万人の菩薩、梵王・帝釈等の万億の天人、阿闍世王等の無量無辺の国王、仏の御言を領解する文には「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに、未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かず」と云ひて、我等仏に離れ奉らずして四十二年若干の説法を聴聞しつれども、いまだ是くの如く貴き法華経をばきかずと云へる。此等の明文をばいかゞ心えて、世間の人は法華経と余経と等しく思ひ、剰へ機に叶はねば闇の夜の錦、こぞの暦なんど云ひて、適持つ人を見ては賤しみ軽しめ悪み嫉み口をすくめなんどする、是併ら謗法なり。争でか往生成仏もあるべきや。必ず無間地獄に堕つべき者と見えたり。
  問うて云はく、凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば、世間に是を重んじ一切是を貴む。然るに当世法華経を持つ人々をば、世こぞって悪み嫉み軽しめ賤しみ、或は所を追ひ出だし、或は流罪し、供養をなすまでは思ひもよらず、怨敵の様ににくまるゝは、いかさまにも心わろくして、仏意にもかなはず、ひがさまに法を心得たるなるべし。経文には如何が説きたるや。答へて云はく、経文の如くならば、末法の法華経の行者は人に悪まるゝ程に持つを実の大乗の僧とす。又経を弘めて人を利益する法師なり。人に吉しと思はれ、人の心に随ひて貴しと思はれん僧をば、法華経のかたき世間の悪知識なりと思ふべし。此の人を経文には、猟師の目を細めにして鹿をねらひ、猫の爪を隠して鼠をねらふが如くして、在家の俗男俗女の檀那をへつらひ、いつわりたぼらかすべしと説き給へり。其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、一には在家の俗男俗女なり。此の俗男俗女は法華経の行者を憎み罵り、打ちはり、きり殺し、所を追ひ出だし、或は上へ讒奏して遠流し、
 

平成新編御書 ―1319㌻―

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