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『秀句十勝抄』
(★1348㌻)
摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり。仮令文字の師千群万衆彼の妙弁を数尋ぬるとも能く窮むる者無きなり○義月を指すに同じ、筌蹄に滞らず○理無生に会し、宗は一極に帰する者なり」と。
依憑の御言。「吁乎実なるかな、生まれながらにして知る者は上なり、学ぶは次なりと。此の言以有るなり。庭戸を出でずして天下知るべしとは、豈空しく伝へんや。此の間比蘇に在り。大唐にして天台を聞く。今吾が大師杖を葱嶺に遂かずと雖も、然も霊山の聴き、恒に心腑に存し、経を流沙に負はずと雖も而も南岳の告げ篤く簡牘に載す。三蔵は梵偈を印度に尋ね天台は法鼓を天竺に振るふ。波倫は漢に入って文殊を台山に礼し、梵僧は呉に来たって弥勒に東陽にして謁す。漢地已に聖あり。秦国何ぞ賢無からんや。支那の三蔵は諍論を天竺に和し、震旦の人師は群釈を梵本に糅ゆ。彼の智略に於ては神州も亦好し、此の義味に於ては大唐も亦妙なり。唯義理を敬信せよ、寧ぞ人法を謗じて殃を招かんや。耳を貴みて目を賤しむは漢人の嗟く所、遠きを敬ひ近きを軽んずるは此の間免れ難し。伏して願はくは心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑を熟察せよ。今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈すること特に群に秀でて唐に独歩す。明らかに知んぬ、如来の使ひなりと。讃ずる者は福を安明に積み、謗ずる者は罪を無間に開かん。然りと雖も信ずる者に於ては天鼓と為り、謗ずる者に於ては毒鼓と為る。信謗彼此決定して成仏せん。又偈に云はく略。ぞ福を捨て罪を慕ふ者あらんや。願はくは同じく一乗を見て倶に和合海に入らんことを」と。
平成新編御書 ―1348㌻―
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