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『松野殿後家尼御前御返事』
(★1355㌻)
こうをば天の日にあてゝあたゝめばやと申すなり。自然のことはりとして千年に一度出づる亀なり。しかれども此の木に値ふ事かたし。大海は広し、亀はちいさし、浮木はまれなり。たとひ、よのうきゞにはあへども栴檀にはあはず。あへども、亀の腹をえりはめたる様に、がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし。我が身をち入りなばこうをもあたゝめがたし。誰か又とりあぐべき。又穴せばくして腹を穴に入れえずんば、波にあらひをとされて大海にしづみなむ。たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども、我一眼のひがめる故に、浮木西にながるれば東と見る故に、いそいでのらんと思ひておよげば弥々とをざかる。東に流るを西と見る。南北も又此くの如し云云。浮木にはとをざかれども近づく事はなし。是くの如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり。
此の喩へをとりて法華経にあひがたきに譬ふ。設ひあへども、となへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を、心うべきなり。大海をば生死の苦海なり、亀をば我等衆生にたとへたり。手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ、背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ、千年大海の底にあるをば我等が三悪道に墜ちて浮かびがたきにたとへ、千年に一度浮かぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生まれて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう。余の松の木ひの木の浮木にはあひやすく栴檀にはあひがたし。一切経には値ひやすく、法華経にはあひがたきに譬へたり。たとひ栴檀には値ふとも相応したる穴にあひがたきに喩ふるなり。設ひ法華経には値ふとも肝心たる南無妙法蓮華経の五字をとなへがたきに、あひたてまつる事のかたきにたとう。東を西と見、北を南と見る事をば、我等衆生かしこがほに智慧有る由をして、勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ。得益なき法をば得益あると見る、機にかなはざる法をば機にかなう法と云ふ。真言は勝れ法華経は劣り、真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。
平成新編御書 ―1355㌻―
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