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『曾谷殿御返事』


(★1381㌻)
 妙楽大師云はく「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以て教の正主と為す。独り妙の名を得る意此に在り」云云。又云はく「故に知んぬ、法華は為れ醍醐の正主」等云云。此の釈は正しく法華経は五味の中にはあらず。此の釈の心は五味は寿命をやしなふ。寿命は五味の主なり。天台宗には二つの意あり。一には華厳・方等・般若・涅槃・法華同じく醍醐味なり。此の釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり。世間の学者等此の筋のみを知りて、法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆへに、諸宗にたぼらかさるゝなり。開未開、異なれども同じく円なりと云云。是は迹門の心なり。諸経は五味、法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり。此の法門は天台・妙楽粗書かせ給ひ候へども、分明ならざる間学者の存知すくなし。此の釈に「若し教旨を論ずれば」とかゝれて候は法華経の題目を教旨とはかゝれて候。開権と申すは五字の中の華の一字なり。顕遠とかゝれて候は五字の中の蓮の一字なり。「独り妙の名を得る」とかゝれて候は妙の一字なり。「意此に在り」とかゝれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりとかゝれて候ぞ。此を以て知んぬべし、法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目なり。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚癡の者を智者とすること是より始まれり。国のついへのみ入りて祈りとならず。還って仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是なり。今法華経の行者と檀那との出来する故に、百獣の師子王をいとひ、草木の寒風をおそるゝが如し。是は且くをく。
  法華経は何なる故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用ゆる事なるぞと申すに、譬へば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食とし、風を魂とし、日月をめのととして生長し、華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さかせ、安楽仏果の菓なって一切衆生を養ひ給ふ。
 

平成新編御書 ―1381㌻―

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