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『曾谷殿御返事』
(★1384㌻)
仏教はすぐれ神はをとりたりしかども、未だよをさまる事なし。いかなる事にやとうたがはりし程に、桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して勘へて云はく、神はまけ仏はかたせ給ひぬ。仏は大王、神は臣かなれば、上下あひついで、れいぎたゞしければ、国中をさまるべしとをもふに、国のしづかならざる事ふしんなるゆへに一切経をかんがへて候へば、道理にて候ひけるぞ。仏教にをほきなるとがありけり。一切経の中に法華経と申す大王をはします。ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等はあるいは臣の位、あるいはさぶらいのくらい、あるいはたみの位なりけるを、或は般若経は法華経にはすぐれたり三論宗、或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗、或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗、或は律宗は諸宗の母なりなんど申して、一人として法華経の行者なし。世間に法華経を読誦するは還ってをこづきうしなうなり。之に依って天もいかり、守護の善神も力よはし云云。所謂「法華経をほむといえども還って法華の心をころす」等云云。南都七大寺・十五大寺、日本国中の諸寺諸山の諸僧等、此のことばをきゝてをほきにいかり、天竺の大天・漢土の道士、我が国に出来せり。所謂最澄と申す小法師是なり。せんずる所は行きあはむずる処にて、かしらをわれ、かたをきれをとせ、うて、のれと申せしかども、桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて、六宗はひが事なりけりとて初めてひへい山をこんりうして、天台法華宗とさだめをかせ、円頓の戒を建立し給ふのみならず、七大寺・十五大寺の六宗の上に法華宗をそへをかる。せんずる所、六宗を法華経の方便となされしなり。れいせば神の仏にまけて門まぼりとなりしがごとし。日本国も又々かくのごとし。法華最第一の経文初めて此の国に顕はれ給ひ「能竊為一人、説法華経」の如来の使ひ初めて此の国に入り給ひぬ。桓武・平城・嵯峨の三代二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり。
しかれば栴檀には伊蘭、釈尊には提婆のごとく、伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり。漢土にわたりて大日経・真言宗をならい、日本国にわたりてありしかども、伝教大師の御存生の御時は、
平成新編御書 ―1384㌻―
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