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『四条金吾殿御返事』


(★1391㌻)
 此偏に陰徳あれば陽報ありとは此なり。我が主に法華経を信じさせまいらせんとをぼしめす御心のふかき故か。阿闍世王は仏の御怨なりしが、耆婆大臣の御すゝめによて、法華経を御信じありて代を持ち給ふ。妙荘厳王は二子の御すゝめによて邪見をひるがへし給ふ。此又しかるべし。貴辺の御すゝめによて今は御心もやわらがせ給ひてや候らん。此偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり。根ふかければ枝さかへ、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根あさく流れちかく、法華経は根ふかく源とをし、末代悪世までもつきずさかうべしと天台大師あそばし給へり。此の法門につきし人あまた候ひしかども、をほやけわたくしの大難度々重なり候ひしかば、一年二年こそつき候ひしが、後々には皆或はをち、或はかへり矢をいる。或は身はをちねども心をち、或は心はをちねども身はをちぬ。釈迦仏は浄飯王の嫡子、一閻浮提を知行する事、八万四千二百一十の大王なり。一閻浮提の諸王頭をかたぶけん上、御内に召しつかいし人十万億人なりしかども、十九の御年浄飯王宮を出でさせ給ひて、檀特山に入りて十二年、其の間御ともの人五人なり。所謂拘隣とと跋提と十力迦葉と拘利太子となり。此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ。残りの三人も後の六年にすて奉りて去りぬ。但一人残り給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。法華経は又此にもすぎて人信じがたかるべし。難信難解とは此なり。又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし。此をこらへん行者は、我が功徳にはすぐれたる事、一劫とこそ説かれて候へ。仏滅度後二千二百三十余年になり候に、月氏一千余年が間仏法を弘通せる人、伝記にのせてかくれなし。漢土一千年、日本七百年、又目録にのせて候ひしかども、仏のごとく大難に値へる人々少なし。我も聖人、我も賢人とは申せども、況滅度後の記文に値へる人一人も候はず。竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値へる人々にては候へども、此等も仏説には及ぶ事なし。此即ち代のあがり、法華経の時に生まれ値はせ給はざる故なり。今は時すでに後五百歳・末法の始めなり。日には五月十五日、月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生まれ給へり。
 

平成新編御書 ―1391㌻―

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