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『四条金吾殿御返事』


(★1392㌻)
 今より後は又のちぐへなり。大陣すでに破れぬ、余党は物のかずならず。今こそ仏の記しをき給ひし後五百歳、末法の初め、況滅度後の時に当たりて候へば、仏語むなしからずば、一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。聖人の出づるしるしには、一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候に、すでに合戦も起こりて候に、すでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給ひて候らん。きりん出でしかば孔子を聖人としる。鯉社なって聖人出で給ふ事疑ひなし。仏には栴檀の木をひて聖人としる。老子は二五の文を蹈んで聖人としる。末代の法華経の聖人をば何を用ってかしるべき。経に云はく、能説此経・能持此経の人、則ち如来の使ひなり。八巻・一巻・一品・一偈の人、乃至題目を唱ふる人、如来の使ひなり。始中終すてずして大難をとをす人、如来の使ひなり。日蓮が心は全く如来の使ひにはあらず、凡夫なる故なり。但し三類の大怨敵にあだまれて、二度の流難に値へば如来の御使ひに似たり。心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども、口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使ひに似たり。過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし。未来は当詣道場疑ひなからんか。これをやしなはせ給ふ人々は豈同居浄土の人にあらずや。事多しと申せどもとゞめ候。心をもて計らせ給ふべし。
  ちごのそらうよくなりたり、悦び候ぞ。又大進阿闍梨の死去の事、末代のぎばいかでか此にすぐべきと、皆人舌をふり候なり、さにて候ひけるやらん。三位房が事、さう四郎が事、此の事は宛も符契符契と申しあひて候。日蓮が死生をばまかせまいらせて候。全く他のくすしをば用ゐまじく候なり。
   九月十五日                     日蓮花押    
  四条金吾殿
 

平成新編御書 ―1392㌻―

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