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『滝泉寺申状』
(★1401㌻)
随って四依の大士内に鑑みて説かず、天台・伝教而も演べず、時未だ至らざるの故なり。法華経に云はく「後五百歳の中に閻浮提に広宣流布す」云云。天台大師云はく「後五百歳」と。妙楽云はく「五五百歳」と。伝教大師云はく「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時」云云。東勝西負の明文なり。
法主聖人時を知り国を知り、法を知り機を知り、君の為民の為、神の為仏の為、災難を対治せらるべきの由勘へ申すと雖も御信用無きの上、剰へ謗法の人等の讒言に依って聖人頭に疵を負ひ、左手を打ち折らるゝの上、両度まで遠流の責めを蒙り、門弟等所々に射殺され、切り殺され、殺害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難勝げて計ふべからず。茲に因って大日本国皆法華経の大怨敵と成り、万民悉く一闡提の人と為るの故に、天神国を捨て、地神所を辞し、天下静かならざるの由粗伝承するの間、其の仁に非ずと雖も愚案を顧みず言上せしむる所なり。外経に云はく「奸人朝に在れば賢者進まず」云云。内経に云はく「法を壞る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なり」云云。
又風聞の如くんば、高僧等を屈請して蒙古国を調伏すと云云。其の状を見聞するに、去ぬる元暦・承久の両帝、叡山の座主・東寺・御室・七大寺・園城寺等の検校・長吏等の諸の真言師を請ひ向け、内裏の紫宸殿にして故源右将軍並びに故平右虎牙が呪詛し奉る日記なり。此の法を修するの仁は、弱くして之を行なへば必ず身を滅し、強くして之を持てば定めて主を失ふなり。然れば則ち安徳天皇は西海に沈没し、叡山の明雲は流れ矢に当たり死し、後鳥羽法皇は夷の島に放ち捨てられ、東寺・御室は自ら高山に死し、北嶺の座主は改易の恥辱に値ふ。現罰眼を遮れり、後賢之を畏る。聖人山中の御悲しみは是なり。
次に阿弥陀経を以て例時の勤めと為すべきの由の事。
平成新編御書 ―1401㌻―
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