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『滝泉寺申状』
(★1402㌻)
夫以れば花と月と、水と火と、時に依って之を用ゆ。必ずしも先例を追ふべからず。仏法又是くの如し、時に随って用捨す。其の上汝等の執する所の四枚の阿弥陀経は四十余年未顕真実の小経なり。一閻浮提第一の智者たる舎利弗尊者、多年の間此の経を読誦するも終に成仏を遂げず。然る後彼の経を抛ち、法華経に来至して華光如来と為る。況んや末代悪世の愚人、南無阿弥陀仏の題目計りを唱へて順次往生を遂ぐべしや。故に仏之を誡めて言はく、法華経に云はく「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。教主釈尊正しく阿弥陀経を抛ちたまふ云云。又涅槃経に云はく「如来は虚妄の言無しと雖も、若し衆生の虚妄の説に因るを知れば」云云。正しく弥陀念仏を以て虚妄と称する文なり。法華経に云はく「但楽って大乗経典を受持し、乃至余経の一偈をも受けざれ」云云。妙楽大師云はく「況んや彼の華厳は但福を以て比す。此の経の法を以て之を化するに同じからず。故に乃至不受余経一偈と云ふ」云云。彼の華厳経は寂滅道場の説、法界唯心の法門なり。上本は十三世界微塵品、中本は四十九万八千偈、下本は十万偈四十八品。今現に一切経蔵を観るに唯八十・六十・四十等の経なり。其の外の方等・般若・大日経・金剛頂経等の諸の顕密の大乗経等を、尚法華経に対当し奉りて、仏自ら或は「未顕真実」と云ひ、或は「留難多きが故に」或は「門を閉ぢよ」或は「抛て」等云云。何に況んや阿弥陀経をや。唯大山と蟻岳との高下、師子王と狐兎との力なり。今日秀等彼等の小経を抛ちて、専ら法華経を読誦し、法界に勧進して南無妙法蓮華経と唱へ奉る、豈殊忠に非ずや。此等の子細御不審を相貽さば、高僧等を召し合はせられ是非を決せらるべきか。仏法の優劣を糾明せらるゝ事月氏・漢土・日本の先例なり。今明時に当たって何ぞ三国の旧規に背かんや。
訴状に云はく、今月二十一日数多の人勢を催し、弓箭を帯し、院主分の御坊内に打ち入り、下野房は乗馬相具し、熱原の百姓紀次郎男、点札を立て作毛を苅り取って日秀の住房に取り入れ畢んぬ云云取意。
此の条跡形も無き虚誕なり。日秀等行智に損亡せられ、不安堵の上は誰人か日秀等の点札を叙用せしむべき。
平成新編御書 ―1402㌻―
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