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『滝泉寺申状』
(★1403㌻)
将又弱なる土民の族、日秀等に雇ひ越されんや。如し然らば弓箭を帯し悪行を企つるに於ては、行智と云ひ近隣の人々と云ひ、争でか弓箭を奪ひ取り、其の身を召し取りて子細を申さざるや。矯飾の至り宜しく賢察に足るべし。日秀・日弁等当寺代々の住侶として、行法の薫を積むの条、天長地久の御祈を致すの処、行智は当寺霊地の院主代に補し乍ら、寺家・三河房頼円並びに少輔房日禅・日秀・日弁等に仰せて、行智、法華経に於ては不信用の法なり、速やかに法華経の読誦を停止し、一向に阿弥陀経を読み、念仏を申すべきの由、起請文を書かば、安堵すべきの旨下知せしむるの間、頼円は下知に随って起請を書きて安堵せしむと雖も、日禅等は起請を書かざるに依って、所職の住坊を奪ひ取るの時、日禅は即ち離散せしめ畢んぬ。日秀・日弁は無頼の身たるに依って、所縁を相憑み、猶寺中に寄宿せしむるの間、此の四箇年の程日秀等の所職の住坊を奪ひ取り、厳重に御祈を打ち止むるの余り、悪行猶以て飽き足らずして、法華経の行者の跡を削らんが為に、謀案を構へて種々の不実を申し付くるの条、豈在世の調達に非ずや。
凡そ行智の所行は、法華三昧の供僧・和泉房蓮海を以て、法華経を柿紙に作り紺形に彫るは重科の上謗法なり。仙予国王は閻浮第一の持戒の仁、慈悲喜捨を具足する菩薩の位なり。而も又師範なり。然りと雖も法華経を誹謗するばら門五百人が頭を刎ね、其の功徳に依って妙覚の位に登る。歓喜仏の末、諸の小乗・権大乗の者法華経の行者覚徳比丘を殺害せんとす。有徳国王は諸の小権法師等を、或は射殺し、或は切り殺し、或は打ち殺して迦葉仏等と為る。戒日大王・宣宗皇帝・聖徳太子等は此の先証を追って仏法の怨敵を討罰す。此等の大王は皆持戒の仁にして、善政未来に流る。今行智の重科は□□べからざるか。然りと雖も日本一同に誹謗を為すの上は其の子細御尋ねに随って之を申すべし。
堂舎修治の為に日弁に御書を給ひ下して構へ置く所の上葺榑一万二千寸の内八千寸之を私用せしめ、
平成新編御書 ―1403㌻―
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